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トーマス・アルバ・エジソン

言わずと知れたアメリカのイギリス人発明家。
あるいは、生涯、特許を取得し続けた人。
太平洋戦争を見ずに死んでしまった事は、この人にとっては幸福だったのか不幸だったのか…。

交流(←電気の方の)が嫌いな人らしい。彼が発明した電灯は、直流方式だった。

彼が最初の発明者ではないが、彼のアイディアがよく活かされていたのが電話。
特許争いではベルに負けたが、ベルの電磁式マイクロホンはすこぶる感度が悪かった。
そこで、木炭を砕き、いろいろな大きさの粒にして箱に詰めた、電気抵抗式のカーボンマイクを考案し、広く用いられ、また恐ろしく感度が良かった。つまり、エジソンは、発明だけではなく改良も行っていたわけだ。
--CUE


>発明だけではなく改良も行っていた
電球についても、エジソンは寿命を数秒から数百時間に改良して、実用化しただけです。発明者ではありません。--KK



>実用化しただけ
それは「電球」の事ですね。電球だけでは「電灯」とは言えません。…というような話は良く聞くところです。エジソンは、電灯を実現するために、電球だけではなく、ソケット、送電設備、発電所、も作ったのです。これを総じて「電灯」と呼ぶようです。確か、商売できるように、電力量計も作ったんじゃなかった?

電球を家庭の電灯に使おうという試みをした発明家はエジソン以前にもいました。私が知っているそのような話の一つに、地下室に電池を置き、その電源でもって電球を光らせる、というような実験を自宅で行ったある発明家の話があります。しかし、電池から出る有毒ガスのために(なにしろ家の「地下」にあるので)家族全員が喉をやられてしまい、結局、全部もとの灯油ランプに戻してしまいました。

同じような試みは、エジソン自身も、蛍光灯の時にやってます。彼は、工場の電球をすべて蛍光灯に変えました。蛍光灯と言っても、現在のような方式(1気圧未満の水銀蒸気中での放電による紫外線を蛍光物質にあて、有害な紫外線は塩素ガラスで遮断する方式)ではなく、蛍光物質を塗りたくったただのガラス板の上から、当時レントゲンによって発見されたばかりのX線をあてるだけというもので(一応、面発光方式だし)、はじめの頃はたいそう具合が良かったのですが、そのうち職員の毛が抜けはじめて、こりゃいかん、という事になり、またもとの電球にもどした、というエピソードがあります。
--CUE

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