vieweditattachhistoryswikistopchangessearchhelp

苦労

努力と混同してはいけない。--sumim



どう違うか説明きぼんぬ。辞書見てもいまいちピンと来なかったので --戯

「苦労と努力を混同してはいけない」という主旨のことは駿台時代に秋山仁講師がよく口にしていたのの受け売りです。結局、本人から真にその意図するところを聞くことはできなかったので、以下はオレ定義です。「努力は“目的を遂げるための工夫をこらすこと”であり、他方で苦労は単に“苦しみ、疲れること”。骨を折るという共通のイメージがあるが、これは少なくとも前者において本質ではなく、両者は本来、直交する概念。努力は報われる可能性が高いが(ってか、予想を超える負の不確定要素の介在があったのならともかく、報われざることが容易に予想されていた過程を経たものをしてそれを“努力した”とは呼ばない)、苦労にはその保証はない。が、両者を混同していると苦労をすれば報われるような誤解が生じがちなので注意したい」ということです。--sumim

なるほど。上記辞書の言い回しを借りるなら、苦労は「つらいめにあいながら」という修飾(藁)を持たされているんですね -戯
まあなんにせよ、怠惰のための努力(俺風にいえば「努力を選ぶ努力」かな)は重要ですね。

おや?以前は「苦労を選ぶ苦労」と言ってたのではなかったか?>戯 --CUE

つか、「苦労と努力を混同するようになったのはいつから?」と言いたい。
「本来」という修飾語を付けなければ苦労と努力が直交しているという事がわからないほど、混同しやすい概念だろうか?--CUE

あと、苦労は周りの状況がそうさせるもの、受け身的なもの、努力は(目的を遂げる気があるなら率先して)するもの、すべきものって語感はありますね。努力はすべき、という周りからのプレッシャーがその気のない本人にさせられる苦労とうつって次第にそれが混同されるようになった…という経緯はうがちすぎでしょうか。--sumim

怠惰のための努力
怠惰のため、では困りますが、楽をするための努力は大いに推奨されるべきです。しかし、管理する側にはその能書きはあまり通用しないのが常です。そういう状況(莫迦な上司からの評価)の想定下では「苦労は報われる」というのはある意味、真なのかも。いや、やはりこれも、苦労している姿をアピールすることで結果を伴わない徒労のほうが評価に繋がる傾向を加味した「評価を得る」という“目的を遂げるための工夫”、つまり努力のひとつの形に過ぎない、かな。--sumim


>怠惰のため、では困ります

おっと、そう振られると困ってしまう。
というのは、この文脈(?)での「怠惰」は、Perl作者の名台詞なのだそうで(^^;
怠惰 短気 傲慢 Perl
Perl作者による定義(^^;だと、ここは怠惰という単語の使いどころであるんだと思うのだが。

これも、「怠惰」にグローバルつーか全世界共通の解釈が有るのか無いのかで、色々話が変わってきますね。
つまりPerl作者の言い回しを「受け付けない」か「人それぞれだという緩衝材を経由して受け付ける」か、さてどっちだ? -戯

ばか上司の言い回しを(制限つきで)認めるなら、Perl作者の言い回しも認めるのはアリということになるんじゃないかな。

>努力は“目的を遂げるための工夫をこらすこと”であり、他方で苦労は単に“苦しみ、疲れること”。

苦しめば目的に近づく、と思ってる阿呆が多い「から」、言葉のほうも混同されてる…のかな?

体力を使う使わない(&それをどっち向きに使うか?)は人間(の意思)の自由だが、
その使った結果が何になるか?は自由ではないんだよね。
選んだ方向に「よって」、必然的に結果が決まってしまうことが有る。

だから、望みどおりの結果が欲しいならば、原因つまり体力を活用する方向を、
望んだままに決めるんじゃなく、「目的を導ける(と神様が決めた)ような」方向に
しなければならない。

なのに、
体力の方向を自由に選んどいたくせに、
それで結果が自由に選んだ(つもりの)通りにならない、とゴネる阿呆が、
後を絶たない…(T_T) --


このページを編集 (3794 bytes)


Congratulations! 以下の 3 ページから参照されています。

This page has been visited 5423 times.