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第 83 版のソース

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Alto、Star、Smalltalk、Lisa、Mac 年表

こうやって(表中赤字)見ると、Apple は手持ちの技術をこまめに商品化していて、ある意味、偉いですね。

Alto の表記は?

ALTO vs Alto。これは abee さんに紹介していただいた資料から少なくとも '70 年代終期、XEROX としては Alto で定着していたようですね。アラン・ケイ博士の論文では ALTO で統一されているようにみられます(手持ちの1報だけですが)。でも同じ論文内では Bilbo も BILBO になったりしていますから、たぶんこだわっていないのでしょう。なので XEROX に従って私は Alto にします。

Smalltalk は Alto の標準システムか?

少なくとも '70 年代終期〜 '80 年代初頭においては否。ただ、History of Programming Languages II (ISBN 0-210-89502-1、Kay1996)によると、Alto は 暫定 Dynabook として作られた(最初のグラフィックスとして“クッキーモンスター”を表示したのが 1973 年)と書いてあります。試作機は一台(Bilbo)。3ヶ月で作られたとの記述があるので、これがたぶん NHK で言っていた「鬼の居ぬ間の…」の成果でしょう。
1976年のSMALLTALK-72 INSTRUCTION MANUALにSmalltalk-72の起動方法が載っていますが、Altoという言葉は用いられず一貫してInterim Dynabookと呼ばれています。Smalltalk用のディスクパックをセットしてブートしているので、Smalltalk起動中は他のシステムは動作しなかったと思われます。しかし、標準であったかどうかは分かりません。いくつかあるシステムのひとつだったと思います。

Uploaded Image: st72Manual.JPG Uploaded Image: bootSt72.JPG


Alto と Star の関係は?

StarはXEROXが1981年にリリースしたビジネス用のワークステーションです。最初のStarは8010と呼ばれます(開発コードネームDandelion)。多くの資料が「XEROXはAltoを商品化しなかった」と伝えていますが、正しくは「XEROXはAltoを商品化したけれども商業的には失敗した」です。

ひとつつながりました。ジョブズらが見学したのは Star の開発途上版の上で動いていた Smalltalk だったわけですね。これについてはよく分かりません。

"The final live demonstration of the Xerox 'Star' computer, 1981"(ZDNetの取材記事あり)によると、プロジェクトが始まったのは1975年。開発に用いられた言語はSmalltalkではなく、抽象データ型のMesaでした。

Mesaに関しては1990-91年頃のSuperAscii誌におけるウィンドウ・プログラミングのパラダイムに関する連載で幾度か取り上げられていた記憶があります.Mesaが(も)走っていたOSのPilotに関しては,いちおう手元には
石田晴久, 土居範久 共編『新しいOS』, 共立出版, 1989, (新しいOSシリーズ, vol. 12), ISBN4-320-02406-0
があります.著者の宇田川誠さんは富士ゼロックスの人です.ページ数は20にも満たないので,詳しいことは書いてありません.ただ,この本には他にTAO/ELISも載っていて,珍しいので捨てられる前に保護しました(笑).--nishis


1975年以降の Alto とそれ以前の Alto (否、おそらく Bilbo の1台だけ。もしくはその直後にビルドされた5〜6台の Alto ) は XEROX の Star に関する史実からは別のものと考えたほうがよさそうですね。一口にAltoと言っても色々な種類があります Smalltalk は Bilbo の後、XEROX が本格的にプロジェクトとして始動させた Alto に移植され、ひとつのアプリケーション(否、アプリケーションという概念はなかったわけで…コンポーネント?)として研究が続けられた。いくつかの Alto から Alto プロジェクトが別途進行して Star の礎が築かれた。Star につながる流れの Alto プロジェクトにアラン・ケイ博士はどのくらい関与していたのでしょうか?

Starは、オーバーラップしたマルチウィンドウ、「書類」や「フォルダ」などのアイコンによるデスクトップ、DWIM(Do What I Mean)に基づくオブジェクト指向ユーザインタフェース、WYSIWYG(What You See Is What You Get)を実現するメガピクセルビットマップディスプレイとレーザープリンタ、ファイルサーバやプリンタサーバをつなぐイーサネット、何でも送れる電子メール(ゴミ箱さえも!)などを備えていました。

なるほど。Smalltalk が動作してこその Alto の評価という私の認識は誤りだったのですね。頭の中を訂正しておきます。

Starにはアプリケーションの概念がありません。「道具箱」には様々な種類の白紙の書類が入っており、これをデスクトップに「転記」することで作業を開始します。また、モードがなく、選択した対象により、その対象に対して行なうことの出来る操作が自動的に切り 替わりました。
Starのキーボードを見ると、いくつかのキートップがSqueakのメニュー項目と一致していることに気付くでしょう。
Starの環境はViewPointと呼ばれます(1985年から。当初は単にStar。後年GlobalViewに改称)そして、アラン・ケイ博士の設立したNPOはViewpoint Research Instituteという名前です。


とすると、やはり博士は深く関わっていたと考えてよいのでしょうか? Starプロジェクトのメンバは博士の思想をよく理解したのだと思います。博士自身がタッチしていたかどうかは分かりません。博士の有名な言葉に"Point of view is worth 80 IQ points"がありますが、ViewPointはこれから採ったのではないでしょうか。

Starは富士ゼロックスにより日本語化され、J-Starとして発売されました。このJ-Starについては「JStarワークステーション」という本を一読されることをお勧めします(その一部はここで読めます)。西原さんのこの本に対する感想が私の気持ちを代弁しています。私は1988年から6年間、ユーザとして8080 J-Star II(コードネームKiku)などを使っていました。ドロワーをどんどん開いていくと、アメリカまで行ってしまったときの感動は今でも忘れられません。--abee

Uploaded Image: Desktop1.jpgUploaded Image: Desktop2.jpgUploaded Image: JStarII.jpg


私も何とか馬鹿のひとりだったので、耳が痛いですね(^_^;)。今は Smalltalk 馬鹿で Alto の軽視と、なんとかにつける薬はない…状態(鬱。そんな意図は無いです。ほんとに。それをいったら私なんて、DynaMacの頃はほとんど狂信者でしたね。西原さんも相当な○○ですよ:-) また渋いリンクを…=) 。>DynaMac --sumim

現役の○○狂信者の西原です。でも、ワタシの場合は周囲に影響を振りまいてません。というか、個人的な知合いの大半がMacユーザだったりします。でもまぁ、マシンは何でもエエですわね、今となっては。ではでは。三拝 --nishis 御意 (笑) --sumim

Star(ViewPoint)が動作するプラットホームは、Dandelion, Dandetigerなど原則としてDから始まるコードネームを持っていました。これらがDマシンです。Dマシン最大の特徴は、マイクロコードプログラミング可能なビットスライスプロセッサを採用していたことでしょう。
私たちが普段使っているPowerPCやPentiumなどのCPUはチップ自体に命令セットが組み込まれており、これを変更することはできません。これに対して、Dマシンは起動時に命令セット自体をロードすることが可能でした。
この機能を用いることにより、動作させるシステムに最適な命令セットを用いることが出来ます。DマシンではViewPint以外にもInterlisp, Smalltalk, XDE(Xerox Development Environment; Mesa開発環境)などを動かすことが可能ですが、これらのシステムに応じて命令セットを切り替えて使っていました。Smalltalkになじみの深いバイトコードとは、このSmalltalk用命令セットのことに他なりません。
Dマシンの商品名には、80xx, 60xxのビジネス向けと11xxの科学技術計算向けのものがありました。後者は前者にコプロセッサを足して高機能化したものが多かったようです。11xx系は、日本では1100SIP(Scientific Information Processor, Dolphin)と1121AIW(Artificial Intelligence Workstation, Kiku-X)が販売されていました。年季の入ったSmalltalkerは最初のマシンがこれらだったという人が多いようです(あるいはTektronix 4404か。私は違います:-)。
Uploaded Image: 1121AIW.gifUploaded Image: Sakura.JPG

あと、国内専用機に1161AIW(Katana)というマシンがありましたが、これはDマシンではありません。6060(Sakura)も違います。


アラン・ケイ博士が Smalltalk から離れたのはどの時点?

Smalltalk-76 まで深く関与していたのは確かなようです(Kay1996)。Squeak ML で「よしみで St-80 のライセンスを得た」というような記述をみかけたことがあるので、St-80 には関わっていなかった可能性大かと。

スティーブ・ジョブズ氏が観たのはどのバージョンの Smalltalk?

もしくは Smalltalk ではなかった? ダン・インガルス氏がデモを担当もしくは深く関与している(Kay1996)ので Smalltalk であることは間違いないようです。ただ、Alto プロジェクトもかなり進行して(Star の手前まで来て)いたでしょうから、Smalltalk のデモはひとつのセッションに過ぎなかった可能性が大です。時期(1979)から St-80 ではない? デモ機に使われたのは Dorado (Alto のバリアント?、a very fast "big brother" of the ALTO)。Dorado はおそらく“Alto”として紹介されたでしょうから、外部の人間が Alto プロジェクトと Smalltalk(Dynabook)プロジェクト、およびその成果物の区別をどこまで理解できたか。実際、両者には似たような印象を持つソフトも存在するようですし(たとえば、よく映像に登場するペイント系ソフトには我々のなじみのある FormEditor とよく似た Smalltalk で実装されたと思われるものと、それとは見た目が異なる Mesa 上に直接(?)実装されたものがあるように見受けられます)。PygmalionやBravoなどについては、The Xerox Star: A Retrospectiveが詳しいです。



鷲見の(今のところの)認識:暫定ダイナブックであり、Alto の試作機でもある Bilbo も Smalltalk も、製品化を望む XEROX と研究を続けたい博士との間で望む扱いが違った。 → 結果的に XEROX は博士が望まない両者の製品化を果たし、博士はそれを見ずに XEROX を去った。Alto は Star の前身で Smalltalk とのソフトウエア技術面でのリンケージは薄いが、思想/精神的つながりは強く、それ自体、特筆すべき先進性を持っていた。