オブジェクト指向言語の「純粋性」
本来、「オブジェクト指向」をもって何をさすかによるべきものであるが、現在は、
- すべてがオブジェクトか?
- 後付けではなく、当初から「オブジェクト指向」を意識して作られたものであるか?
のいずれか、あるいは両方ではかられることが多い。
冒頭の「オブジェクト指向」をもって何をさすか?という観点に忠実であるならば、それがもし、アラン・ケイのメッセージングのオブジェクト指向なら、
となるでしょう。ただ、アラン・ケイ自身による Smalltalk 批判にも象徴されるように、純粋であることは必ずしも多くの人に歓迎されることではないようです。
一方で、「オブジェクト指向」が、ストラウストラップのクラスによるユーザー定義型のオブジェクト指向を指す場合、個人的には、このパラダイムで純粋性にこだわるメリットはあまり見つけられないでいるのですが、あえて挙げるとするなら…、
- ユーザー定義型、つまり、クラスで表現しようとすることへのサポートの徹底度
ということになりましょうか。あるいは、
- ユーザー定義型の扱いの、基本型のそれに対する自然度
というのもありそうです。いずれも、あいまいな基準ですが…(^_^;)。
ここまで -sumim
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